犬山城を訪ねて
ぐるっと一巡り
犬山城
1469年に織田 広近がこの木曽川沿いの高さ約88m程の丘上に砦を築く。この地を織田 信長の叔父ー織田 信康が改修・築城した。
その後、石川 貞清(光吉)が改修し現在の城の形となった。この時の建築用材は金山城の建物の一切を解体移築したので「金山越」の伝承がある。
石川 貞清は関ヶ原の戦で西軍に属していたので、没落。その後城主として、小笠原 吉次、平岩 親吉となる。1617年に親吉没後の6年間は城主
空白があって、尾張藩の藩付家老の成瀬 正成が城主、以後徳川時代を通じて成瀬家9代続く。
この丘に築城(平山城)は白帝城(別名)の佇まいであって、中国の長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早発白帝城」(早に
白帝城を発す)にちなんで荻生 徂徠が命名(伝文)。
現存する天守が建てられた年代は諸説あるが、1617年頃でこれが現在の城の姿である。成瀬家の個人所有の文化財であったが、財団
法人に譲渡。
天 守
天守は外観3重、内部は4階、地下は踊場を含む2階が付く、天守南面と西面に平屋の付櫓が付層する複合式。また、入母屋2重2階の築物
の上に3間×4間の望楼部を載せた望楼型天守である。天守台石垣は野面積という積み方で、高さ5m。天守の高さ19m。1階 納戸の間、2階 武具の
間、3階 破風の間、4階 高欄の間。
犬山城 ①
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犬山城 ②
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犬山城 ③
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犬山城 ④
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犬山城 ⑤
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犬山城 ⑥
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犬山城 ⑦
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犬山城 ⑧
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