2004年夏

2004年夏

                       新穂高・独標・西穂山荘                       

                       カテーゴリ:アーカイブス パート 2                        

                      

                       西穂高岳(中央)~独標(右端)                       


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                       西穂高岳                       

 松本市と高山市に跨る 2909m の北アルプスの飛騨山脈南部の山で、山域は中部山岳国立公園に指定され、花の百名山に選定。< OUTLINE > 上高地や東西の方角から眺めると鋸歯状に岩稜が 連なる山容が特徴である。雪の無い期間は、登山シーズン中に成っている。そのシーズン中に、新穂高ロープウェイの終点の西穂高口や上高地から山を登りながら老若男女が来るので、非常に賑っ ている。西穂高独標迄は、この穂高連峰の入門コースとなっているが、西穂高独標~ピラミッドピーク~西穂高岳山頂迄は、熟達者向きのコース、山頂から奥穂高岳迄の区間の岩稜は北アルプスの 主稜線上では屈指の難コースなのである。即ち、遭難事故の現場である。――――西穂高岳落雷遭難事故の現場を通って穂高連峰へ向かって行く。今でも慰霊碑が鎮座してある。そして、慰霊登山を 含む関係者らを迎えている。 

                       西穂高岳落雷遭難事故とは                       

 1967/08/01、長野県の西穂高岳独標附近で高校生の登山パーティーが被雷した事故である。 

                       事故 OUT LINE                        

 1967/08/01 の気象状態は、本州を挟む形状で、高気圧が2つ並んでおり、南海上に台風が有ったため、大気の不安定の状態となっていた。松本市内の松本深志高校 2年生の登山パーティー は、西穂高岳にて教員の引率による集団登山を行っていた。この集団登山は、個人での登山による危険(リスク)を避けるため、希望者を集めて、毎年学校が主催している行事だった。参加人数は 教員5人を含む合計55人。日程は、1967/07/31、松本市を出発、上高地で一泊し、1967/08/01、朝から西穂高岳に登山し、1967/08/02、下山、松本市に帰る予定であった。参加者のうち46人が登頂し たが、正午過ぎから天候が悪化し、大粒の雹(ひょう)混じりの激しい雷雨となったため登山パーティーは避難を開始した。避難のため下山途中の13時半頃、独標付近のガレ場を1列で下っていた所 に雷の直撃を受けた。これにより、生徒8名が即死、他の生徒・教員と会社員1人を含めた13名が重軽傷を負い、生徒3名が行方不明となった。この事故発生の連絡を受けた西穂高山荘からは従業員 と東邦大学医学部による西穂高診療所の医師ら20余人が現場に向かい、遺体と負傷者を山荘に収容した。無事だった生徒と教員らも西穂高山荘に避難した。行方不明者の捜索は濃霧により翌朝迄延期 された。08/01、夜には、この事件の一報を受けた東京医大のドクター2名が上高地から救援にかけつけたほか、自衛隊松本駐屯部隊のレンジャー隊員らが自発的に救援に向かっている。松本深志高校 には、その日のうちに対策本部が設けられ、同校長を含む教員5名が上高地に向かった。08/02、長野県警と高校OBによる行方不明者の捜索開始され、結局、尾根から300m下ったガレ場で3名共遺体と なって発見された。これで死者は計11人となった。AM.8時頃に無事だった教員と生徒が下山開始。9時頃三重県明野航空自衛隊のヘリコプター2機が現場に到着し、負傷者を松本市の病院にピストン 輸送した。遺体は高校OBの手で上高地迄下ろされた後、自衛隊のヘリで高校の屋上まで輸送され、警察による検視と生徒や保護者等による簡単な告別式後、各々、家に帰された。 

                       事故の影響                       

 登山中のみならず通常の落雷事故としても一度にこれほどの死者・負傷者が出た例は無しだった。新聞各紙が一面に報道等を大々的に行うならば、日本中に衝撃を与えてしまったのだ。学校 登山の歴史に残る大大惨事であった。長野県下ではこの影響で登山行事を一時的に中止、または廃止した学校も多くあった。当時は、引率教員の責任を問う声もあった。しかし、最後には、警察は、 過失責任を不問にした。 

                       後の安全は                       

 1990年代以降この事故発生当時には、よく分かっていなかった落雷発生のメカニズムとか、その危険性について次々解明され、落雷による人身事故は適切な安全対策を実施することにより 0 にすることが可能であることが分かったことから、日本でも具体的な安全対策が実施されるようになってきている。これは 1996/08/01、発生した落雷事故において、2006/09/17、最高裁差し戻し審、 高松高裁が「1996年時点、避雷の知識は一般向けの本に記載されており、雷の性質に対する正確な認識のもとに事前に準備しておけば、事故発生は十分回避出来た。」と断定した。そして、原告 (被害者)勝訴が確定したことが大きい。即ち、特に落雷に遭う危険性(リスク)の高い登山ついては雷の発生が少しでも予想・予測されたならば、躊躇無き中止判断がなされるべきであるとされるよう に変更されている。そして、それでも雷に遭遇した場合の緊急非難方法ついてもまた、事故当時とは大きく異なるものになっている。2008年~2011年にかけ、文科省は学校での安全教育、災害安全に 関するものとして、小学生~高校生迄それぞれを対象にした「災害から命を守るために」の防災教育教材を発表、この中で落雷被害防止について解説している。また2012年、(h.-24) 24ス学健第7号に於 いて、落雷事故防止のための適切な措置を講ずる旨を小・中・高等学校等に通達、具体的な取り組みが各学校単位で行われるようになっている。 

                       山名の由来                       

 従来周辺の山全体が穂高岳と呼ばれていた。しかし、1909年に槍ヶ岳~穂高岳に初縦走を行った鵜殿正雄が、穂高岳のそれぞれのピークの山を北穂高岳、前穂高岳、奥穂高岳、西穂高岳と名付けた。 実際には、西穂高岳山域の南西端のピークであって、その中で唯一、3000m満たないピークである。 

                       地質                       

 山体の西(側)と南(側)は古第三紀~白亜紀後期の花崗岩類である滝谷花崗閃緑岩から成る。西穂高独標と西穂高岳山頂と間ノ岳周辺には、溶結凝灰岩が分布、その北側には閃緑斑岩が分布。約45km 南西の割谷山は、焼岳火山群の地質を含んでいる。 

                       丸山から眺めた独標、ピラミッドピーク                       


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                       独標(人々がいるピーク)・ピラミッドピーク                       

                       

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                       ピラミッドピーク                       


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                       独標の頭(2701m) ①                       

                       

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                       独標の頭(2701m) ②                        


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                       独標                       

 2701mで、初心者には推薦するコース。登山口は長野側の上高地より、岐阜側には奥飛騨新穂高口ロープウェーイの西穂高口とある。いずれも西穂高山荘を目指しての登り、西穂高山荘から 独標までを、眺めながらトレッキング、―― 笠ヶ岳・双六岳や振り返り南方向は、焼岳、乗鞍岳などの山岳パノラマを満喫しながら、ゆるやかな登りの快適コースをトレッキングする。独標~~ 西穂高岳へのルートは、大小のピークが連続するので、熟練者コースとなっている。(※ 上高地から西穂高山荘を経て楽しみながら、新穂高へまたは、焼岳への逆コースもお薦めコース)少し、詳し く、西穂高山荘より稜線を登り、丸山、独標に至ります。大きな岩の塊りとなっていて、頭への最後の登りは急峻な岩場を行く。穂高の連山や眼下には梓川~上高地が小さく眺められる。この頭に 立つと、その先のピラミッドピークが直前に見えて登りたい欲望に駆られるけど、充分な体力と登山テクニックが必要となってきます。 

                       長野側の霧が晴れて奥穂高岳(3190m)が現われた                       

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                       岐阜側の笠ヶ岳・双六岳                       


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                       笠ヶ岳 2898m                        


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 高山市にある飛騨山脈の標高2898mの山。中部山岳国立公園にあり、日本百名山及び花の百名山に選定されている。< OUTLINE > 丸いお椀型の隆起がなだらかな稜線の上に、ポッカリ 突き出た姿であり、北は立山峰、南は木曽御嶽山からでも、一目でそれ(笠ヶ岳)とわかる山容をしている。日本各地に同じ名前の山が、複数あって、その中で最高峰を誇っている。春になると 山頂直下、「馬の雪形」が現われ、高山盆地からも望める。この雪形は田植えの時期と昔から言い伝えられている。北は、槍ヶ岳、西鎌尾根と双六岳を結ぶ東西の稜線上の樅沢岳に至り、南は ロック・クライミングルートの錫杖岳に連なっている。また、蒲田川の源流を挟んで、東の槍穂高連峰と対峙する。北西側は金木戸川の源流だ。 

                       双六岳 2860m                        


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 大町市と高山市にまたがる飛騨山脈の裏銀座の主稜線に位置する2860mの山。双六岳を含む飛騨山脈主な山域は1934年12月4日に中部山岳国立公園に指定。花の百名山、ぎふ百山、新高山市 100景の一つ。 < OUTLINE > 北に飛騨山脈の主稜線が延び三俣蓮華岳で立山連峰が後立山連峰へと延びろ主稜線から分岐する。この山頂で、稜線は東南東のピーク樅沢岳から南西に分岐した稜線 から弓折岳を経て笠ヶ岳へと続いていく。また、新穂高温泉からの1955年に開設された小池新道の先には、双六小屋と樅沢岳との鞍部がある。各方面からの登山道の交差する要所であって、双六 小屋も宿泊できる。双六岳は、お椀を伏せたような緩やかな高原状の山体で、山頂は砂礫台地で周氷河地帯形の線状構造土が見られ、その上に浮かぶ槍ヶ岳と穂高岳の展望地である。日本で44番目 の高山。山頂は二党三角点が設置。点名は「中俣岳」、これは住所名 : 高山市大字金木戸字中俣岳695番地。――指示す。 <山名の由> : 神通川水系上流部の双六谷にすごろく基盤に似た磐石が あることが由来説。「四五六谷」が転訛して双六谷になった説有。 <環境> 上部は森林限界の高山帯。双六岳東面にはカールがあり、夏にも雪渓が残り、登山道周辺には、大規模な高山植物の群生地 が広がっている。 <動物> ハイマツ帯にはライチョウ。高山蝶 ミヤマモンキチョウ 高山蛾 アルプスギンウワバ アルプススクロヨト アルプスヤガ ソウウンクロ オビナミシャク ダイセツヤガ 及びカミキリムシ科のトホシハナカミキリなど確認記録がある。 <植物> 代表花として、コバイケイソウ 山頂部の稜線付近にトウヤクリンドウ 笠ヶ岳の中道では、キバナシャクナゲや ヨツバシオガマが見られ、巻道では シナノキンバイ、ハクサンイチゲ、ミヤマキンポゲ等見られる。秋になったら、山頂部の高山体で草紅葉、周辺の登山道では、ダケカンバの黄葉、ナナカマドの 紅葉が真っ赤に成っている。 

                       北アルプス唯一の活火山 焼岳 2455m                        


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                       活火山 焼岳 について                       

 飛騨山脈の主稜戦上にあって、長野側と岐阜側にまたがる標高2455mの活火山で、硫黄山とも言われる。常時、観測対象の火山指定されている。その上、日本百名山に選定されている山だ。 

 < OUTLINE > 隣接する白谷山、アカンダナ山、割谷山と共に焼岳火山群を構成する。この火山群中で現在も活動しているのが焼岳だ。有史後の噴火活動は、水蒸気爆発が殆どで、泥流が生じ易い。 この山は、飛騨山脈中では最も活動の激しい活火山である。約2000年前には最新のマグマ噴火を起こしている。この山の熔岩は、粘性が強い安山岩からデイサイト質の溶岩ドーム及び溶岩流とそれに伴う 火山灰と火山岩の堆積物で構成。水蒸気噴火に伴い泥流として土砂を流すことがある。付近では、1968年、1990年、1998年、2011年、2014年など度々、地震群発を観測している。焼岳山域は1934年(s-9) 12月4日に、中部山岳国立公園の特別保護区に指定された。なお、この火山群のうちアカンダナ山は、2003年(h-15)、気象庁の活火山見直し作業に於いて、焼岳とは別に単独で、活火山であると指定された。   <北峰、南峰、― 標高との特徴> 山頂付近に幾つかの火山火口が残り、火口湖の正賀池を挟んで、北峰と南峰に区別されている。南峰は正賀池の真南の位置にある岩峰で、山頂には国土地理院の二等 三角点が設置されており(2,4554m)、これが焼岳の最高点(ここは登攀禁止である。)だ。一方、北峰の山頂から北西に約200m離れている。火山基本図では北峰は標高(2,4553m)となっている。北峰は実際の 標高で指導標示よりも、50m程高い。北峰に立って見ると、南峰との標高差はそれほどでないことの実感できる。 <火山歴史> 主な活動として、1585年(天正13)-爆発し)飛騨側の村に被害。1911年(m-44)、 この1年で22回小爆発。関東一円に降灰。1915年(t-4)6月6日、大爆発で泥流が梓川をせき止め堰止湖を作った。―― 大正池である。1962年(s-37)6月17日、水蒸気爆発を起こし、松本市内降灰大量有。旧 焼岳小屋押しつぶされ破壊、4名の負傷者発見。1995年2月11日14:25、中部縦貫自動車道路安房トンネルの長野県側トンネル工事に関係して取り付け道路の工事現場において、火山ガスを含む水蒸気爆発 が発生した。直後に、泥流が噴出して、工事作業員が工事中に4名死亡。 

                       丸山から上高地、梓川を眺める                       


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 丸山 : 西穂高丸山は、標示柱(木製)が立っている。ハイマツ道筋越した所に稜線が延び、その先には西穂高へ続く峰が見え雄大、なだらかな丘陵地帯の丸山に到着すると、北アルプスのダイナミック な山容が姿を現します。 

                       西穂山荘 (2385m 高さ) 大賑わい ①                       


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                       西穂山荘 (2385m 高さ) 大賑わい ②                       


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                       西穂山荘 (2385m 高さ) 大賑わい ③                       


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 大きな観光拠点を出発地・到着地とする処(山小屋風の宿泊所)。初心者も可能な独標迄の広尾根を登るコースがある場所、勿論、上級者向けの西穂高岳山頂迄ともう一つ焼岳を周遊する コース等、色々多くの楽しみ方を選ぶことが出来る場所にも成っている。新穂高ロープウェーイとこの西穂山荘は通年営業、その為、冬山・春山・夏山・秋山とをそれぞれ目指す登山者 にとって、格好のコースとなっており、唯一賑い見せる登山基地です。 

                       トウヤクリンドウ                       


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     丸山にて―――     

 リンドウ科リンドウ属の多年草の高山植物。 < OUTLINE > :高さは10~25cm、花期は8~9月上旬。茎の先に長さ3~4cmの花を2~3個付ける。花は淡い黄色なのだが、白色に見えるのが 特徴のようだ。花弁には緑色の斑点がある。花は日が当たらないと開かない。茎葉は対生し、長さ2~5cmの被針形~長楕円被針形。日本名のトウヤク(当薬)は薬草になるセンブリ草の事。トウヤ クリンドウも胃薬になることから付けられた。 北アジア~北米に分布、日本では、中部地方以北~北海道の高山帯の砂礫地や草地に生育する。基準標本はシベリア東部などのもの。 これには 近縁種として、エゾトウヤクリンドウ(別に、クモイリンドウ)は北の大雪山に分布する。トウヤクリンドウより小型で、花の長さ約5cmの大きさである。 

                       トリカブト                       


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     西穂山荘キャンプ場にて―――     

 キンポウゲ科トリカブト属の植物。 < OUTLINE > :ドクウツギ、ドクゼリと並んで、三大有毒植物の一つ、トリカブトの仲間は日本には約30種自生、花色は、紫色の他、白、黄、ピンク等。 多くは多年草である。沢筋など比較的湿気の多い処を好む。花の由来は、古来の衣装である鳥兜・烏帽子に類似して、また、鶏の鶏冠に似ているからとも。英名では「僧侶のフード」の意味。塊根 を乾燥させたものは漢方薬や毒として用いる。烏頭(うず)とか附子(ぶす) : 本来「附子」は球根の周りに着いている「子ども」の部分を指す。真中「親」の部分は、「烏頭」、子球無いのを、「天 雄」(てんゆう)と言っている。言葉としては、今、現在は「附子」以外の言葉は使用していないので、これは、「毒」と用いるのが、目的だ。また、俗に不美人ことを「ブス」と言う。これが、トリ カブトの中毒で神経に障害が起き、顔の表情が可笑しくなったのを指すという俗説もある。ヨーロッパ→魔術の女神ヘカテーを司る花とされ、庭に埋めてはならないとされる。ギリシャ神話では、地獄 の番犬と言われるケルベドスの涎からから生まれたとも。狼男伝説とも関わる。 <毒性> : 通名な有毒植物、ジテルペン系アルカロイドのアコニチンで、他、メサコニチン・アコニチン・ヒバコニチン 、低毒性分のアチシン・ソンゴリン等を全草(特別に根)に含有。地域に依り、毒力が強弱ある。食用に不適である。だから、要するに危険だ。 症状 :嘔吐・呼吸困難・臓器不全などから死に至る。 経皮吸吸・経粘膜吸収される。経口から摂取後数10秒で死ぬ。即ち、即効性あり。半数致死量は0.2~1.0g.。トリカブトによる死因は、心室細動ないし、心停止。下痢は無し。特異的療法、解毒剤も無い が、各地の医療機関で中毒の治療研究が行われている。芽吹きの頃には、(2~3月)セリ、ニンジン葉、ゲンノショウコ、ヨモギ等は類似の葉形をしているから、誤食による中毒がよく起こってている。  

                       クルマユリ                       


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     西穂山荘キャンプ場にて―――     

 ユリ科ユリ属の多年草。 < OUTLINE > :白色の鱗茎は球形で、直径 2cm。茎高 30~100cm。花の大きさ 5~6cm。茎の上部は、1~数個が互生。6枚の花被片はオレンジ色で、濃紅色斑点がある。 花粉は赤褐色。花期は7~8月。葉が茎の中央部で6~15枚程輪生してりる。その上部に3~4枚まばらに付く。朔果は倒楕円形で長さ2cm。茎は輪生する葉を車輪の幅に倒れたことに由来する。 <分布> 中国、朝鮮半島、サハリンカムチャッカ半島、千島列島、日本に分布。冷涼な土地を好む。日本では中部以北~北海道と大台ケ原・剣山の高山帯~亜高山帯の草原に分布している。 

                       下山中に槍ヶ岳を眺める―――大喰山・中岳と連なる                       


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                       宿泊したホテル                       


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 スイスの風景を彷彿させる北アルプスの景観美と宿全体を取り巻くシックな洋風スタイル空間を演出している。 


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     ウィキペディアより。