ボシタ祭

ボシタ祭

               2013/09/16 敬老の日 藤崎八幡宮秋季例大祭 14:53~15:37 のフォト               


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     藤崎八幡宮秋季例大祭の、その最終日(5日間の行事)に神幸行列がこの「祭」のクライマックスとなる。中でも観客の注目を集めるのは、神輿に付き従う「随兵 (ずいびよう)」と「飾り馬(かざりうま)」の奉納行列である。飾り馬は、近年は60団体以上(2013年は62団体)が奉納し、「ドーカイ、ドーカイ」「ラッセー、ラッセー」「 ソーリヤー、ソーリヤー」という威勢のよい勢子(せこ)たちの掛け声とラッパ、太鼓などの鳴り物で賑やかに行進しながら、藤崎宮→御旅所の5km程の道程を練り歩くのだ。  

     この「祭」は元々、放生会に由来するものと言われている。現在でも、旧習自体は各地の寺社で催されているが、藤崎宮の大祭は良く解らない。過去の神仏分離令 によって、「ほうじょい」は廃れてしまった。「随兵」は、加藤清正が文禄の役・慶長の役、大坂から無事帰還できたことを神前に感謝し、自ら随兵頭になって兵100名を引き連れて 藤崎宮の神幸式供奉(ぐぶ)したのが起りと伝えられている。加藤家時代は一時、随兵が300人いたが、その後、細川藩時代にも100名ではあるが、継続され、随兵三役(随兵頭、長柄 頭、御幸奉行)は家中で選抜された高位の者が務めた。「飾り馬」は本来、供奉神職の乗馬であり、神職と同数の12頭が奉納されていた。細川藩政期には、家老格の家から馬を出して いた。また、藤崎宮が鎮座していた藤崎台から御旅所までの距離が短く、神職は乗馬せず馬を曳いて供奉した。そのため不用の鞍上に飾りを施したものが次第に大きくなり今日の様 な紅白あるいは青白の大輪の飾りとなったという。家臣団の奉仕によるものであった飾り馬は、明治維新後、町方衆の手に移り、その奉納馬の数は時流の影響を受けて、増減をみせて きたが、ここ数年は60頭以上の飾り馬が奉納されている。     

     さあー。最大のクライマックスである、神幸行列が行われる。「先駆(せんく)」=騎馬神職を先頭にして、A.M.6:00 スタート(「御発輩祭<ごはつれんさい>」という)。 後に続く行列の大まかな順として、三基の神輿に移された藤崎宮の三座の祭神、「随兵」行列、獅子舞、子供神輿、そして最後の「飾り馬」奉納団体となっている。飾り馬の奉納団体は、 太鼓・ラッパなどの鳴り物で賑やかに、それぞれ揃いの半纏に身を包み、扇子・花傘・ひしゃく・提灯・纏等を手にした勢子たちが「ドーカイ、ドーカイ」「ラッセー、ラッセー」 「オーイサーノ、オーイサーノ」「ソーリャー、ソーリャー」の威勢の良い掛け声で踊り、飾り馬をあやつりながら、熊本市内を練り歩いて行く。その時は交通規制がかかり、交通機関の 遅れはすごいのだ。(例)2013年の夕随兵での交通規制は、交通センター→通町筋:通常7分が35分かかった。