POST CARD ⅵ

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     鹿苑寺 :大書院旧障壁画

伊藤若冲(1716~1800)は近世京都画壇において、とくに個性的な画風を持って知られる。京都高倉錦の青物問屋の跡取りとして生まれるが、生来 商売には不向きであったのか、人生半ばで家業を弟に譲っている。そして縁あって相国寺百十三世住持梅荘顕常(大典禅師)との知遇を得る。この大典 を生涯の師とし、また道友として親交。師より禅・文芸の指導を受け画業に専念。狩野派や琳派、中国宋・元の技法、さらに清の画家沈 南頻の画風を学び、 独自の写実画を完成した。とくに鶏の絵が著名で、自ら家に数十羽を飼って観察したという。この障壁画は、大典の弟子龍門承猶が1759年(宝暦 9)に、鹿苑寺 へ入寺した記念に、大典の斡旋で若冲が境内大書院に彩管を振るった水墨の大作。葡萄・芭蕉・竹・鶴・鶏図等大小合わせて五十面有、1959年(s-34)に 全て重文指定。


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     鹿苑寺 :大書院旧障壁画 配置図


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月夜芭蕉図床貼付
高さ259cm 幅384cmの大画面。三之間床に貼付られている。秋の月夜にざわざわと揺れる芭蕉。大典禅師の薦めか、若冲は芭蕉の図をよく描いている。大典は 別に「蕉中」とも号した。維摩経の中の「水上の泡云々、芭蕉の堅きこと云々」の文言に起因するとされる。芭蕉は、高さ5m程にも達するバショウ科の大形多年草 。葉はよく織物に使われ、また薬用にも使用される。左側面のも葉が張出し立体感を出している。

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葡萄小禽図床貼付
高さ232cm 幅384cmの大画面。一之間床に貼付られている。正面蹴込床の奥行と、違い棚が立体感を生む。違い棚を左側面に小禽が飛ぶ。小禽とは小鳥の別名。 棚から垂れ下がる葡萄の葉と実。蔓が折れ曲がるように螺旋をえがき、複雑に巻き付いている。太いものや細いもの。微妙な濃淡で葉の細かい所まで描かれている。

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芭蕉叭々鳥図襖絵
叭々鳥は中国大陸南部から東南アジアに分布するムクドリ科の小鳥「ハッカチョウ」とも呼ばれる。人によく懐き、人語を真似るということでも親しまれ、飼い鳥 にもされる。古来よりよく絵画の題材にされた。芭蕉の傍ら、太湖石に羽を休める。なにやら剽軽な顔つきである。

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双鶏図貼付
番の鶏。若冲は生涯に亘り鶏を描き続けた。最も手近で、何処にでもいる。最初に写生を手掛けた生き物で、自宅に数十羽飼って、動きを観察しつつ描いたという。 餌になる野菜は自らの経営する店の商品。当然厭はなかったであろう。周りは若旦那の道楽趣味と映ったか。まさか天才画家が身近に居たとは思いもよらなかったであ ろう。

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菊鶏図襖絵
若冲と言えば鶏、鶏と言えば若冲、と言われるほど若冲の鶏図は有名。菊と鶏と太湖石の組み合わせ。菊は、東洋では古来より邪気をはらい長寿が叶えられる、とされた。 松・鶴・亀・菊と、若冲はこれら吉祥の象徴を好んだようで、ずいぶん描いている。”ひょい”と上げた鶏。実に飄々としている。

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松鶴図襖絵
松は季節に影響されず生育することから、古来より長寿の象徴とされた。また「鶴は千年」と言われ、やはり長寿の動物として尊ばれる。空に向かって口を開き鳴く姿と首を 曲げ口を閉めた姿。阿吽の呼吸を描いたのであろう。阿吽は仏教の呪文(真言)の一つ。阿は口を開いて最初に出す音、吽は口を閉じて最後に出す音。そこから宇宙の始まりと 終わりを表す言葉とされる。

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竹図襖絵
中国原産の珍しい種類。節が算盤の玉のように膨れていることから、算盤竹とも呼ばれる。この竹、曲がりくねって、しかも枝が無い。皆三角形をした葉が無数に描かれている。 なんと奇妙な。若冲は何を意図したのか。竹の強い生命力を表したかったのか。曲がりくねったところに、自らの人生を重ねたのか。狭屋之間から書院の部屋に入る襖に描かれており、 来客が最初に目にする場所。ふとここで、この奥の雰囲気を想像させたかったのか。

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秋海棠図襖絵
秋海棠は中国南部を原産とする多年草。地下に塊茎があり、秋に淡紅色の花が細い茎の上に開く。よく観賞用に栽培される。草丈は人の腰くらいまで伸びるものであるが、この図なぜか 下部に”こじんまり”と描かれている。中上部に空白を大きく取るために故意にしたのであろう。跳ねるように表された茎と花が特徴的。

葡萄小禽図襖絵


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松鶴図襖絵


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