知覧特攻平和会館

知覧特攻平和会館

0 戦闘機


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                  知覧特攻平和会館とは              

   太平洋戦争末期に編成された大日本帝国の特別攻撃隊に関する資料を展示 する施設。   

     展示内容  :写真・遺書などの遺品物約4500点、特攻隊員の遺影 など1036枚展示してある。  :遺品のほとんどは初代館長 板岡 忠正(元特攻 隊員)があつめたものである。     

                  戦 闘 機                   

   四式戦闘機、「疾風」|型甲(実物)世界で唯一原型を留めた良好な状態で 現存する フィリピンの戦いにて、アメリカ軍から帰ってきた里帰り機。  

   三式戦闘機、「飛燕」||型改(実物)世界で唯一原型を留めた良好な状態で 現存する機体。日本航空協会所有の貸与機。   

   一式戦闘機、「隼」|||型甲・復元複製機、実寸大精巧なレプリカ。   

   0式艦上戦闘機、「五二型丙」 実物。   

 

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                  航空特攻作戦の概要               

   沖縄での陸軍による航空特攻作戦は米軍主力が沖縄南西にある慶良間列島に上陸 した1945年(昭和20)3月26日から始まりました。この作戦とは、重さ250kg の 爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める。もちろんパイロットは必ず”死ぬ ・亡くなる”という『必死』条件の作戦でした。この作戦には知覧基地を始め健軍、都城 など九州各地、当時の日本統治下の台湾など多くの基地から出撃して行き、全特攻戦死者 1036名のうち439名の半数近くが知覧から出撃して行った兵士たちです。この第1次 総攻撃が1945年4月6日から始まり、7月19日 第11次総攻撃の終了まで続いた。 なお、特攻部隊のうち、九州から出撃した部隊”振部隊”、台湾からの部隊”誠飛行隊”と の呼称。   

                  沖縄戦で陸軍の特攻隊が出撃した飛行場     

   知覧 基地(鹿児島) 402名   健軍 基地(熊本) 127名      万世 基地(鹿児島) 120名   都城東 基地(宮崎) 73名      台湾 基地(合 計) 135名   以上が特攻隊の数が多いところ。   


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                  遺 書                 

      原稿用紙に書いた お母さん 宛の手紙です。     

   母上、お元気ですか。長い間 ほんとうにありがとうござい ました。 我 六歳のときより 育ててくださりし母、ありがたい母、 尊い母、オレは幸せだった、ついに最後までお母さーんと呼ばざりし オレ、幾度か思い切って 呼ばんとしたが、なんと意志薄弱なオレ だったろう。母上、お許し下さい。さぞ、寂しかったでしょう。今こそ 大声で呼ばせていただきます。お母さん、お母さん、お母さんと。                           と紹介する。