POST CARD Ⅱ

POST CARD Ⅱ

ヨハネス・フェルメール⇒オランダの画家
17C. オランダの画家(1632~1675):レンブラントと並び17C.のオランダ美術を代表する画家。故郷デルフトで一生涯を過ごした。 1654~1655年は初期の頃、物語画家として出発し、翌1656年:『取り持ち女』の頃より風俗画家に転向する。静謐で写実的な迫真性のある 画面は、空間構成と巧みな光と質感の表現に支えられている。絵画としては、人物など作品の中心をなすパートは、精密に書き込まれた描写 は濃く、周辺の事物はあっさり描いて、生き生きした筆のタッチ。見る者の視点を集中させ、緊張感を与える。現存する全作品37点はすべて 油彩画であって、版画、下絵、デッサン等は残っていない。
真珠の首飾りの少女
① 1664年頃 ② 油彩画、カンヴァス ③ ベルリン国立絵画館

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解説
左から光が差す室内に立つ女性という、おなじみのテーマである。髪にリボン、耳に真珠のイヤリングを付けた女性は、真珠のネックレス に付いたリボンを持ち上げ左の壁に掛かった鏡を見つめている。鏡、宝石などのモチーフは伝統的に虚栄を表わすもの、背景は白い壁のみだが、 X線写真により、当初は、壁にネーデルランドの地図が掛けられていたのを後に塗りつぶしたことがわかっている。女性の着ている毛皮の縁の ついた黄色の上着は他のいくつかの作品に登場するもので、フェルメール死後に作成された財産目録には、この上着に該当すると思われる「白い 縁取りのついた黄色のサテンのコート」が記されている。
べルナルディーノ・ピントゥリッキオ⇒イタリアの画家
彼はぺルージャで生まれた。あまり有名でないぺルージャの画家たちの下で修行を積んだものと思われる。ルネサンスのぺルージャ派の作品は どれもよく似ていて、ぺルジーノ、ピントゥリッキオ、ロ・スパーニャ、若い頃のラファエロの作品は別の画家の作品と間違えられることが多い。 巨大なフレスコ画を制作する時には、師匠の描いたスケッチを実物大の下絵に拡大する時、壁に下絵を写す時、あるいは背景や装飾品を描く時、 弟子や助手が重要な役割をはたしていた。
聖母子と聖ヒエロニムス
本を手に取り何かを書き込む幼子イエスと、それを抱く、青と赤の服の聖母マリア、その左には赤い枢機卿の格好をした4~5Cの聖ピエロニムス が描かれた作品です。

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この作品
① 1490年頃 ② テンペラ彩、板(カンヴァスに移替え) ③ ベルリン国立絵画館
ルーカス・クラーナハ(父)⇒ドイツの画家
1492~1553年、ルネサンス朝のドイツの画家で同名の息子も画家である。1508年以前はデューラーやブルクマイヤーらと競いながら、ヴィッテン べルグにあるCastle Churchの祭壇画を沢山描写。ヴィッテンべルグに工房を構え、ザクセン領主:フリードリヒ3世の御用絵師として仕えた。宗教画 が非常に多く、マルチン・ルター(宗教家)の友人で、彼とその家族の肖像画を数多く残している。
ルクレティア
① 1533年 ② 油彩画(?)、板 ③ ベルリン国立絵画館

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ヤーコブ・ファン・ロイスダール⇒オランダの画家
1628~1682年、レンブラントやフェルメールが活躍した17Cは、オランダ絵画の黄金時代と言われ他にも優れた画家が多く出た。この時期に、最も 重要な風景画家と見なされた。伯父のサロモ・ファン・ロイスダールも風景画家で、ヤーコブもその影響を受けた。1650~1655年にかけて、オランダ各地 およびドイツ遍歴して各地で制作。1656年に拠点をアムステルダムとした。森林、海岸、田舎道、様々な風景描写を行っている。オランダの風景は必然的に 空と雲が重要な要素になる。彼の絵は、地平線を低めにとって、様々な空と雲の表情を出して、光と大気の効果を追求したものが多い。この時期のオランダ 絵画の特色:風俗画、風景画、静物画、あるいは、教会内部を描いた画家等、画家によって専門分野がわかれていた。17C オランダで独立したジャンルとして 「風景画」は成立。それまでは西洋絵画歴史において伝統的に1ランク下げられていた。このオランダの風景画が栄えた背景には、市民階級の勃興がある。 スペインのオランダ支配から独立を果たし、プロテスタントの共和国オランダにおいて、海外貿易による富を背景として中産市民層が勃興した。教会や大貴族に 代わって新たな絵画の注文主・享受者となった中産階級の家屋を飾るふさわしい絵画とは、大画面の宗教画や歴史画よりは、より小規模な風俗画、静物画、風景画 などであっただろう。
① 1670~1680年頃 ② 油彩画、カンヴァス ③ベルリン国立絵画館

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ヤン・ダヴィットゾーン・デ・へーム⇒オランダの画家
1631~1695年、ラィデン生まれ、アントウェルべンにて死す。17Cのネーデルランドの画家、代表する静物画のヤン・ダヴィス・デ・へームの息子であった。コリネリス は、1631/04/08にライデンで洗礼し、父親のもとで、画家修行を積む。1660年に画家組合加入。1667~1680年代後半迄、ユトレヒト、アイジェスルテイン、デン・ハーグで 活躍。ド・へーム家は静物画家を多く輩出。どの作品を誰が手掛けたのか特定がなかなか出来ない。彼等の甥のヤン・ヤンス2世、息子のダヴィス・コリネリスゾーン・デ・ へーむは花や果物を題材にした同様のスタイル作品を残存し、また、共作も多い。しかし、コリネリスの作品は比較的小さく、強い色調の青が特徴的で、後半になるにつれて、 父親とは違っている。
果物、花、ワイングラスのある静物
① 1651年 ② 油彩画、カンヴァス ③ベルリン国立絵画館

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ジャン=バティス=シメオン・シャルダン⇒フランスの画家
1699~1779年代のロココ時代のフランス画家。1718年から歴史画家のカーズの工房に入って画業を開始する。1730年頃の作品には、静物画の作品が増加してくる、食器類・食 材を題材にしてくる。作風は甘美で享楽的なロココ様式とは一線を画し、穏やかな画風で、中産階級のつつましい生活や静物画を描き続けた。シャルダンの題材や写実表現などに 17Cのオランダ絵画の影響が明らかであり、画面構成・陰影描写が秀れている。
死んだ雉と獲物袋
① 1760年 ② 油彩画、カンヴァス ③ ベルリン国立絵画館

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                  ヨハン・ゲオルク・プラッツァー                  


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陽気な人々
① 1930年頃 ② 油彩画、銅板 ③ ベルリン国立絵画館