江田船山古墳と石人

江田船山古墳と石人

   1873年:池田 佐十(地元 在)が「夢のお告げ」を受け古墳を掘った。これが江田 船山古墳の出土品発見の始まりとなる。   

1951年 1975年 1976/06/30
特殊な外観で、-墳墓ー後円部に組合式の石形石棺が置かれ、銀象嵌の鉄製環頭太刀の出土で国の史跡。 江田台地一帯の確認調査ー幅 約20mの周濠が墳丘を巡る事が判明。 近接してー塚放王 古墳・虚空蔵塚 古墳が史跡に追加。

江田古墳

案内板 ①
案内板 ①
案内板 ②
案内板 ②
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   江田船山古墳とは   

所在地 形状 年代 被葬者 出土品 史跡指定
熊本県玉名郡和水町 前方後円墳 楯形の周濠ー全長 62m 高さー10m 5C ~6C の初頭 ムリテ 他 銀象嵌銘太刀、銅鏡など(国宝) 1951年 国史跡

京塚古墳

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船山古墳

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虚空蔵さん
虚空蔵さん

   銀象嵌銘太刀の: 75字とは   

   台(治)天下獲□□□歯大王世、奉事典曹人名天□(利ヵ)弓、八月中、用天鉄釡井四尺延刀、八十練、□(九ヵ)十振、三寸上好□(利ヵ)刀、服址刀者、長寿、子孫洋々、得□恩也、不失其所、作刀者名 伊太□(和)、書者 張安也   

内容   

   ワカタケル大王(雄略天皇)の時代にムリテが典曹という文書を司る役所に仕えていた。八月に大鉄釡で丹念に作られためでたい太刀である。この刀を持つ者は、長寿であって、子孫まで栄えて治めることがうまくいく。太刀を作ったのは伊太□(ワ)で、 銘文を書いたのが張安である。   

石 人

   江田古墳の周りには、短甲を装着した武人の石人が位置する。この石人・石馬を配置する独得型式は石人山に始まっている。6C前期のもの。   

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石人①
石人①
石人②
石人②
石人③
石人③