小倉城

小倉城

その壱

空 掘
空 掘
東面からの天守閣①
東面からの天守閣①
東面からの天守閣②
東面からの天守閣②
水 掘
水 掘
大手門跡
大手門跡
 13世紀中頃:紫川河口西岸に、毛利勝信が総石垣造りの城を築き、熊本ゆかりの細川忠興が南蛮造りの天主を建立す。当時は、本丸(中心部)、南に松丸、北に北の丸、それらを囲むように二の丸、三の丸、外郭の配置され平城だった。現在は一部の石垣、堀が残っている。天守、櫓、庭園は再現。

その弐

南面からの天守閣
南面からの天守閣
槻門跡
槻門跡
西面からの天守閣①
西面からの天守閣①
城内庭園①
城内庭園①
城内庭園②
城内庭園②
 小倉城の歴史は、関ヶ原合戦の功労で入国した細川忠興によって、1602年に本格的に築城されました。忠興は城下町繁栄策として、諸国の商人や職人を集めて商工業保護政策を実施、外国貿易も盛んにし、同時に祇園祭も誕生させました。1632年細川家が肥後国主に移ると、譜代大名として播磨国より小笠原忠真が、小倉城に入る、以後小倉藩主の居城となる。1866年まで続いた。

その参

西面からの天守閣②
西面からの天守閣②
天守閣入口
天守閣入口
祇園祭のお籠
祇園祭のお籠
五階より南を眺望①
五階より南を眺望①
五階より南を眺望②
五階より南を眺望②
 1959年鉄筋コンクリート構造で天守外観が復興、内部は郷土資料館として利用。1990年内部全面リニューアルを行い、ジオラマ、からくりシアターを導入して体験型施設に変わる。

その四

五階より南を眺望③
五階より南を眺望③
五階より東を眺望
五階より東を眺望
五階より西を眺望
五階より西を眺望
五階より北を眺望①
五階より北を眺望①
五階より北を眺望②
五階より北を眺望②
 南面に勝山公園が広がり旧小倉陸軍造兵廠敷地の一部で、ここが原爆投下のターゲット(それが長崎市に投下)。為に、この公園内に「長崎の鐘」---レプリカが設置。東は北九州一の賑やかな商業エリア。西は官庁街。北は、リバーウォーク北九州が人気を呼んでいる。

その五

天守閣を雄大に
天守閣を雄大に
迎え虎
迎え虎
送り虎
送り虎
山車
山車
高層マンション①
高層マンション①
高層マンション②
高層マンション②
 「千客万来」の迎え虎を示し、「麗虎招福」の送り虎の意味を持つ。これは小倉城が1866年に因んで描かれた雌雄一対の「迎え虎」(雄虎)。「送り虎」(雌虎」。(各・高さ4.7m 幅2.9m)の迫力がある筆である。