14F. からの眺め

14F. からの眺め

                       熊本市役所本庁14F.より撮る。                       

                       2016/10/12 (W E D) 10:30 .                       


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                       (飯田丸五階櫓について)                       

                       

                       構    造                       

 建物は、漆喰塗に下見板張りの黒い外観が特徴である。天守以外の櫓や門の屋根に反りが少ないので、破風には直線かむくりが付けられている。多重櫓はすべて望楼型である。 

                       五  階  櫓                       

 五階櫓は3重5階の二重櫓である。往時には現存する宇土櫓のほかに、裏五階櫓、数寄屋丸五階櫓、飯田丸五階櫓、西竹之丸脇五階櫓の4基、本丸東五階櫓は後に三階櫓に改築されたが、 大小天守を除く合わせて6基の五階櫓があった。これらの五階櫓は、他のお城の天守の規模に相当したのだ。これらは、慶長年間に毛利藩が作成した熊本城略図に記載の無い櫓(数寄屋丸五階櫓、 西竹之丸脇五階櫓、本丸東五階櫓)もある、一国一城令後に肥後藩領内にあった。南関城・佐敷城・内牧城の天守を移築したものではないかの説がある。 

                       飯田丸五階櫓                       

 飯田丸五階櫓は、飯田丸の南西隅いあった櫓である。櫓台の石垣は2段に築かれており、過っては、1段目にL字型の要人櫓を配置して、より立体的に攻撃できるようになっていた。なお、 石垣は元々段差が無く、後に五階櫓の櫓台い1段目を被せるように造ってある。この痕跡は元札櫓門へのクランク左側の石垣の反りを確認できる。防衛面では、竹の丸門(現、櫨片門)周辺と 西出丸へと続く南坂への攻撃や指揮所として役割があった。西南戦争前に陸軍により破却されていたが、2006年(h-17)に木造復元によって再建された。しかし、2016年4月14日の熊本地震の前震、 及び、4月16日の本震でこんな状態に現在の姿である。