POST CARD Ⅳ

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中島 潔の世界

”風の画家”
”風の画家”と呼ばれる中島 潔の作品は、NHKの「みんなのうた」に取り上げられたのをきっかけに、多くの人々に親しまれてきま した。「こどもの感性を常に持ち続けること、それが私の絵描きとしての原点です」と中島 潔は言っている。彼の絵の中には、小さい いのちの輝きがいつも風のように流れています。母の死をきっかけに、18歳でふるさと佐賀を飛び出し、温泉掘りや印刷所、広告会社 などで働きながら絵を描き続けてきた中島 潔。28歳(1971)、単身パリに渡り、半年間、絵の勉強をする。今年で41年になる。2010年 には、5年の歳月をかけて描きあげた、集大成ともいえる清水寺成就院の襖絵を完成させました。46面に及ぶ作品からは、これまでのあゆみ をさらに進め、新たなる画境地へと向かう強い想いを感じ取ることができます。
(大漁)
(大漁)
(紅葉)
(紅葉)
(新しい風)
(新しい風)
(茜雲)
(茜雲)
(雀とかかし)
(雀とかかし)
(初雪)
(初雪)
(花の音色)
(花の音色)
(みかん)
(みかん)
(朝顔と少女)
(朝顔と少女)
(赤い帽子)
(赤い帽子)
中島 潔 プロフィール 1943年4月26日生まれ。佐賀県生身。1961年佐賀県立唐津西高校卒業後上京。独学で絵の勉強を続ける。1964年広告会社に就職。アートディレ クターとして数々の賞を受賞。1971年フランス・パリの美術学校で学ぶ。1982年NHK「みんなのうた」のイメージ画を手がける。同年、東京小田急 百貨店で初の個展を開く。1987年ボローニャ国際児童図書展で絵本「木霊みょうと」がグラフィック賞受賞。1989年ワシントン州百年祭を記念して 、兵庫県よりワシントン州に「かのひとはるか」を寄贈。1990年北京の故宮にて海外展開催。1998年画業30年記念で「源氏物語54帖」完成。1999年 NHKにて「郷愁・中島潔の世界」(春夏秋冬四部作)を制作・放送。2001年パリ・三越エトワール美術館にて海外展開催。2003年東京メトロ半蔵門線 開通を記念して、新四駅にアートレリーフを制作。2007年東京・上野の森美術館にて「鉛筆でつづる四半世紀展」を開催。2010年京都・清水寺成就院 に「生命の無常と輝き」襖絵46枚を奉納。NHKクローズアップ現代「風の画家・中島潔”いのち”を描く」制作・放送。

               一寸した話               

   さだまさし:中島潔の絵を最初の購入した人、その絵『雨宿り』それが『雨やどり』を作曲するヒントとなった。またそれが縁になって、個展 の推薦文を書いたとき、「風の画家」というキャッチフレーズを考え出し、これが画家ーー中島潔を表わす言葉となった。