九州新幹線が3月12日より開通し4月10日熊本駅始発6:00で新大阪へ出発時のサクラ号の室内である。テーマ「凛」をキーワードで、室内やデッキ等を木目調とし、和のイメージ表現。グリーン席、指定席、自由席それぞれ異なる内装。この室内は、照明は柔らかく桜材のロールブラインドで、深く腰掛けて楽しむ、座席は広い座り心地良好。布地は西陣織「古代漆」の配色、背もたれ木の色「桜色」客室前後の仕切壁はクスノキ製で殺菌・殺虫効果のあるので心まで癒ししてくれる。
4月11日夕刻18:00前後の新大阪新幹線ホームでのサクラ号と向かい側の山陽新幹線の列車を撮影する。鹿児島中央駅と新大阪駅を結ぶ九州新幹線N700系、車両は1編成8両で1~3号車が自由席、4~8号車が指定席 6号車の約半分の24席がグリーン車として編成。JR西日本 19編成 JR九州 10編成。
3月30日(水)10:00前に撮してみた、元来、旧井関農機 熊本工場の存在した一帯の場所、それが現在、県営・市営・民間等の住宅地になっている。南面に側溝が200メートルほど東西に続いていてそれに沿って30~40本の桜並木がある。もうどれも50年程の古木になっている。4月10日 県議会選 4月24日 市議会選の選挙看板が目につく、東日本大地震の影響であろう、桜を眺めながらの酒盛りがない。
3月31日(木)14:00頃、晴天暑い日。健軍終点 南には「ビアクレス」100メートルくらいのアーケード商店街が続く、ここもシャッター通りに傾むいている。電車終点より北へ500メートルの長さが自衛隊通りになる。50~70年の古木が沢山、なかには若木を植え替えた個所もある。例年なら、第4日曜日に10:00~16:00に通行止めを行い、健軍商店街主催「サクラ祭り」と名付けて、歩行者天国として終日賑やかな一日なのだが早々「中止」。
4月1日 10:30ころ 気持ちいい青空 1本白色のサクラが満開 どうもサトザクラの種類らしい。ウコンの名前かな?これは、サクラの栽培品種、開花はソメイヨシノより遅い。4/1の熊本の満頃は妥当かな、花弁は御衣黄に類似 色は淡い薄い黄色である。1/数百の唯一つ黄色の花で、20枚程の重なっているのもある。駐屯地一角の西南に位置する。-サトザクラの種類は105種もありそうだ。
体力増進のため、下江津~中江津(熊本市動植物園)~上江津の片道4キロの江津湖の距離を往復することにしている。2時間20分は経かる。そして、下江津園地は大災害の避難地と設定。中江津区域は動植物園を設け、上江津エリアには、「スイゼンジノリ」の自生地もあり、そして、湧水池には、川藻や魚が棲むのか年中、カワセミやサギなど格好の餌場であるのかな、「カメラマン」が沢山集まって撮影をしている。この中江津から上江津へ向かっては有名な歌人の歌碑もここそこに立っている。
4月6日、県立美術館へ細川家の美術品の鑑賞で熊本城に向かう。桜の馬場「城彩苑」は物産展を盛大に繰り広げている。県外からの人々は、物珍しいだろう。熊本市内の人々は如何。この写真は、一番右に、西大手門、天守閣、そして平櫓、宇土櫓と撮影しているはずだけれど?どうでしょうか。最後に、この熊本城の歴史上の人物は、加藤 清正、細川 忠利、宮本 武蔵、細川 九曜ら。
清洲城跡:織田信長公の天下取りの出発点であり、戦国の世を終結させ天下平定を目指す武将が重要拠点とした清洲城。1989年(平成元年)に、現在の場所にレプリカの『清洲城』として再建築整備された。金色に輝く鯱を屋根にした『清洲城天守閣』は、内部に「黒木書院」「芸能の間」を配した『芸能文化館』、五条川に架かる赤い『大手橋』とともに清洲市のシンボル。一方、清洲公園は五条川を挟み城の対岸にある。1922年(大正11年)にオープン。園内の一番高い所に信長の銅像が建立。この像は1560年(永禄3年)、「桶狭間の戦い」に出陣する姿を模した像で、桶狭間の方向を見据えています。凛々しい信長の銅像です。
五条川沿いに、ある、施設:①夢広場はるひ ②清洲ふるさとやかた ③清洲城(レプリカ)④清洲宿本陣跡 ⑤清洲公園等有り。
交通アクセス 名鉄、清洲駅から歩いて15分、JR東海道本線、清洲駅より同じく15分、新幹線は通過。この場所より清洲公園の眺望良し。なお、五条川沿いはサクラ並木。
4月11日撮影、京都大原学院の真中に位置ーサクラ3~4部咲いている。学校の特色:小中一貫教育の進学校で生徒数は、中学生26名、小学児童59名。4・3・2制度の導入、英語教育に力点、地域住民らが英語指導助手の雇い入れを担当して、英語学教育に特色を有する学校なのだが?その授業として、小1から英語活動、英語指導の授業内容を多くする。アメリカの留学生らを招き、ネィティブな発音のチャンスを作る。宮崎裕子校長の方針:「9年間を見通して子どもを育て、特に自己表現する力を養いたい」。皆さんは、こんな教育を両手を上げて賛成?
高野川(呂川と律川の合流した直後の場所)沿って月曜日の午前中をこの大原の田舎をのんびりデジカメで撮りながら散歩。旅人も土地の人とも相わない。誰にも「干渉されない」、非常に気持ちが良いものである。
三千院内には呂川と律川が流れ下っている。その中で律川のほとりに鎌倉中期の石仏を訪づねる、「大原の石仏」と呼ばれている:高さが2.25メートルもあり、形が非常に整然としている。途中の橋上でシャッターを。