幣立神社
幣立神社
高天原 日の宮・幣立神社 :熊本県上益城郡山都町に鎮座する神社。
所在地 |
主祭神 |
社格 等 |
上益城郡山都町大野712 |
神漏岐命 神漏美命 |
郷社 |
創建年 |
別名 |
例祭 |
不詳 |
幣立神社 日の宮 |
9月15日 |
社 伝
神武天皇の孫 健磐龍命が、阿蘇に下向した際この地で休憩し、眺めがとても良い場所であると、幣帛をたて天神地祗を祀ったという。その後、901年~923年(延喜年間)、阿蘇
宮司 友成が神殿を造営し、伊勢両宮を祀り 幣立社 と号した。1144年(天養-元)には、阿蘇大宮司 友孝が阿蘇十二神を合祀し、大野郷の総鎮守tごした。
現在の神殿
1729年(享保-14)に、細川宣紀により改修されたもので、1873年(m-6)には、郷社に列した。、なお、天孫降臨の伝承を持つ高千穂にも近く、他にも神話・伝承なども伝わる。
社 宝
火の玉 ・ 水の玉 ・ 五色神面
御 神 木
万世一系の天神木 :社殿横にあるヒノキ 五百枝杉 :参道沿いにあるスギ。
なごみ紀行より ”ふるさと寺子屋” コピー・ペー
高天原 日の宮・幣立神宮について 幣立神宮宮司 春木 伸也 さん
(その1)
熊本よりも県外で、否 世界で知られていると言っても過言ない稀有な存在。「高天原の神話の発祥の神宮である」と由緒に記されているように、この地に一歩踏み入れると厳かな霊気がみなぎり、心のふる
さとの根源にふれる思いがします。九州の中心(へそ)呼ばれる山都町大野(昔は蘇陽町)にあり。国道216号と国道265号の交差する地点です。お宮は小高い森の上に鎮座しています。縄文の太古から生き続けている
ような大木がうっそうと茂り、おごそかな神域の雰囲気に包まれます。神殿の屋根に降る雨は東は五ヶ瀬川に注ぎ、ついには、太平洋へ西は緑川へ流れインド洋へ通じます。九州の屋根の分水嶺です。見晴の良い所に
立つと、阿蘇、九重、祖母、由布、鶴見の峰々の景観が一望できます。大自然に抱かれている実感が理屈なしにズシッと体内に浸み込んできます。(いつしか)時空を超えて人類の根源、宇宙の説理といったものへ
思いを馳せていきます。 この地こそ、高天原発祥の地と言えば、みなさんは驚かれるでしょうか。あれは、神話の世界の話、大和朝廷が自らの権威付けのために作られた物語にすぎない。要するに、観念上の所産で、
あると思われています。しかし、そうした科学的といわれる古代史観を絶対とする視点からは古代の人々の願いや伝承が語り継いできた”真実”は見えてこないのです。 この神宮には、樹齢1万5千年と伝えられる
ヒノキの巨木がそびえています。ここに天孫ご降臨され、神霊がお留まりになりました。カムロギ・カムロミの命(みこと)です。幣立神宮はこの二柱を祀る聖地の根本の神社であり、高天原・日の宮とも呼ばれる由
緒です。一度ご神木の前に立って見て下さい。おそらく、屋久島の縄文杉よりも古い無限の生命力に心をうたれることでしょう。
(その2)
それは、1万5千年前の神に向き合うことであり、悠久の太古から未来永劫に続いていく宇宙の真理に向き合うことでもあるのです。天照大神については天の岩戸籠もりのご神業が伝えられて
います。幣立神宮で旧暦11月8日に行われる巻天神祭の祭典は、天照大神の天の岩戸からの御帰還を祝う日。日向風土記に「天暗く、昼夜わかず、人道を失い、色別き難しかりき」とありますが、
これは明かに阿蘇の噴火による降灰現象を示しています。 天照大神はこの天変地異を鎮めるために天の岩戸に籠もられたのでした。 火山活動は農業に壊滅的な打撃をもたらします。ところが、
幣立神宮の森だけは被害を免れるオアシスでした。周辺を豊かな湧水池に囲まれ、棚田水田の原初的姿が今に伝えられています。神々はここで穫れる籾(もみ)を分け与えて民人を救済していきました。
天孫降臨の主題がここにあります。天孫降臨とは、この籾(もみ)もって新しい文化、稲作文化を普及していくことにあったのです。神武東遷もその流れの中に見ることができます。(※マイホーム
ページ 飾り山笠①も参考に!) ところで、今の合併町村以前の蘇陽町、清和村、五ヶ瀬町、高森町一帯は過って知呆(ちほ)郷と呼ばれました。地名の由来を、日向風土記では「皇孫の尊、千穂の
稲を搓(ても)みて籾(もみ)と為して、投げ散らしたまふければ、即ち、天開晴(そらあか)り、明照り光(かがや)きき、因りて高千穂の二上(ふたがみ)の峰と曰(い)ひき。後の人、改めて
知鋪(知呆)と號(なづ)く」と記録しています。高千穂とは知呆とほかならず、その知呆郷の中心に位置しているのが幣立神宮というわけです。
(その3)
阿蘇開拓の主、健磐龍命(たけいわたつのみこと)神武天皇の孫です。日向の国から五ヶ瀬川に沿って三田井(高千穂)、馬見原を通って草部(くさかべ)に入られました。この時、一羽の
白鳥が幣立神宮へと案内しました。命(みこと)は御幣を立てて奉祀されたので「幣立神宮」の名が起因となった。でも、それは偶然の結果だったのではないのです。命(みこと)は、この地が
高天原・日の宮であることを知っており、阿蘇開拓に情熱を注がれたのも、この”神代の神都”には世界から人々が集います。五色とは世界人種を肌の色で表したもので、赤色・白色・黄色・黒色
・青色の五つの色です。幣立神宮にはモーゼの水玉、五色神面が奉斉されています。詳しい由来は省略します。五色神祭は世界の神々が集まって、人類の幸福、世界の平和を祈る儀式です。祭典は
時代を超えて人々の霊的精神のなかに生き続ける根源的なものを呼び覚まし、その波動は参列者の魂を深くゆさぶらずにはおきません。五代人種が互いに認め合う和合の世界の実現は全地球的願望
です。私の話は神がかりと思われる方も多いとおもいます。それはそれで構いません。ただ、人間は志を高くもって生きなければ人間の存在する意味がないのです。幣立神宮の神域のなかに身を置く
と宇宙の意志といったものを体感し、人間は如何に生きるべきかを考えさせてくれることと思います。