POSTCARD XV
POSTCARD XV
美の国 日 本
正倉院について
奈良・平安時代の中央・地方の官庁や大寺には、重要な物品を収納する正倉が設けられていました。そして、この正倉が幾棟も集まっている一廓が正倉院と呼ぶ。しかし、あちこちに
置かれた正倉は、歳月の経過とともに何時しか衰退していった。そこで、僅かに東大寺正倉院内の正倉一棟だけがその当時のまま、現代迄、残ったのだ。⇒⇒⇒これが、正倉院宝庫である。
歴 史
8C.の中頃、奈良時代の756年(天平勝宝 8年)6月21日、聖武天皇の七七忌(四十九日)に忌日に当り、光明皇后は天皇の御冥福を祈念して、御遺愛品等6百数十点と薬物60種を東大寺の
本尊盧舎那仏(大仏)に奉献されました。皇后の奉献は前後5回に及び、その品々は、東大寺の正倉(正倉院宝庫)に収蔵して永久に保存されることになった。これが正倉院宝物の起源です。
そして、大仏開眼会を初め東大寺の重要な法会に用いられた仏具等の品々や、これより200年ばかり後の平安中頃の950年(天暦 4年)に、東大寺羂索院の倉庫から正倉に移された什器類等が加
わり、光明皇后奉献の品々と併せて、厳重保管されることになった。正倉院宝物は、このように、いくつかの系統より成立している。
この正倉院宝庫は、千有余年の間、朝廷の監督の下に東大寺によって管理されてきましたが、1875年(m-8)、宝物の重要性を鑑み、内務省の管轄となり、次いで、農商務省を経て宮内省
に移り、引き続き宮内庁に所管する処となった。宝庫は現在、古来の正倉の他に西宝庫・東宝庫があり、今、この両方の宝庫に分納保存の状態になっている。
宝物について
その殆どの物が、奈良時代、8C.の遺品であって、中国大陸から船載され、あるいは我が国が製作された美術工芸の諸品や文書、その他です。宝物は整理済みのものだけで9000点数という
膨大な量であり、種類も非常に豊富。これを用途別に分類すると、書巻物文書、文房具、調度品、楽器楽具、遊戯具、仏教関係品、年中行事用具、武器武具、飲食器、服装品、工匠具、香薬類
等⇒⇒⇒生活全般に亘って、この時代(奈良時代)の全貌が眼の当りに知る様です。
製作について : 技法・工法でも、金工、木工、漆工、甲角細工、陶芸、ガラス、染織等、美術工芸の全ての分野に及び、平脱、木画、螺鈿、揆鏤、陶三彩、七宝等の高度な技法を用いた
ものが多い。
使用材料 : 種類が非常に豊富。
光明皇后奉献の趣旨の品目として : 樹下美人像→鳥毛立女人屏風、世界唯一の遺品→華麗な五弦琵琶、遙かなるシルクロードの旅路を偲ばせるカットグラスの白瑠璃碗、黄金珠玉で飾った
犀角、如意 現在最古の戸籍即ち 702年(大宝 2年)
正倉院宝物は重要な特質がある
由緒伝来や製作時代、使用年代の明らかな宝物が多いので、学術上、寄与するところが多い。宝物が伝世品であり、出土品ではない。その為に、1200年余りに亘って伝世して来た。保存状態
良好、”品格と美しさ”を保存してきている。もう一つの特質は、世界性である。宝物は国際色豊かな中国盛唐の時代の文化を母胎とする。大陸から船で運ばれて、即ち、舶来品であって、また、
国産のものもまた、材料、技法、器形、意匠、文様等に8C.の主要文化圏⇒⇒⇒中国、インド、イランからギリシャ、ローマ、そしてエジプトにも及び、各地のそれぞれが包含されている。それで、
注目に値するのが、西方的色彩の濃度の存在。それは盛唐時代の文物に西方の要素が取り入れられ、やがて日本に伝来したのであった。それがこの正倉院に留まっているのです。即ち、「正倉院は
シルクロードの終着点である」というワードは、この宝物のもつ世界性の一端を表現したものでしょう。これは、実に8C.の世界文化を代表する貴重な古文化財産なのです。
螺鈿紫檀五絃琵琶/正倉院
らでんしたんのごげんびわ
分類:(用途)楽器・楽具、(技法)木竹工、 倉番:北倉 29. 寸法:全長 108.1cm、最大幅 30.9cm、 材質・技法: 槽から海老尾、転手は紫檀、 腹板はヤチダモまたシオジ、捍撥は?
他に螺鈿で文様 槽には螺鈿・伏彩色で宝相華文、国家珍宝帳記載の楽器。五絃琵琶はインド起源と言われ、頭部が折れ曲がらない直頸形式が特徴。螺鈿・玳瑁貼りなどの技法を駆使し華麗な文様
をあらわす。
螺鈿紫檀五絃琵琶(裏面部分)/正倉院
らでんしたんのごげんびわ
紫地鳳形錦御軾/正倉院
むらさきじほうおうがたにしきおんしょく
分類: 調度品、 倉番:北倉、47. 寸法:長さ 79cm、幅 25cm、高さ 20cm、説明 : 国家珍宝帳記載品。 筵状(むしろじょう)のものを箱形に固く束ねて、表に紫地鳳形錦を貼る。凭れ懸
かるための座臥用調度品。 奈良時代の肘付きは、通常は体の正面に置き、両肘を同時につく形で使用された。けれども、この肘付きはそうした肘付きに比べると、高さが低く、やゞ小ぶり、脇に置いて
片肘をついたり、現代のクッションのように使われたのではないかとされ、天皇がくつろいでいた様子が偲ばれる。(奈良新聞より)
鳥毛篆書屏風/正倉院
とりげてんしょびょうぶ
何故 こんな屏風を作ったのかーーーという疑問が湧いてくる。 考えられる可能性としては、752年(天平勝宝ー4年)4月に行われた東大寺大仏開眼供養会の準備の時である。
開眼供養に合わせて海外からの多くの使者が招かれたが、そうした客人をもてなす宿舎の居間等に、飾られたのでは、その推測がある。当時作られたのは「鳥毛立女屏風」だけではない。
正倉院宝物の中には、やへり鳥の羽根を使った「鳥毛篆書屏風」も残っている。「鳥毛篆書屏風」とは、君主座右の格言を鳥毛貼りの篆書と緑青が丹の楷書とで交互に記した屏風で6扇
から構成されている。---⇒POSTCARD では、(左 第一扇・右 第二扇) を示す。
篆書体
漢字書体の一種 : 秦時代より前に使用されていた書体全てを指すが、一般的には、周時代末期に、金文を起源として、戦国時代に発達して整理され、公式書体とされた小篆とそれ
に関係する書体を指す。公式書体としての歴史は極く短かった。しかし、現在でも印章等に用いられることが多く、「古代文字」に分類される書体の中で最も息が長い。
金銅透舎利容器/西大寺
こんどうすかししゃりようき
国宝で、高さ 37cm(小品)、各所に繊細な透彫りを施した入念な作で、鎌倉時代の金属工芸作を表するものの一つ。
西大寺について
奈良市西大寺芝町にあって、真言律宗の総本山である。奈良時代に孝謙上皇の発願により、増・常謄を初代住職(開山師)として建立、南都七大寺の一つ。奈良時代には壮大な伽藍を
誇ったが平安時代に一時期、衰退してしまい、鎌倉時代に叡尊によって復興された。山号 勝宝山。現在の本尊は釈迦如来。
玉冠(付 簪)/那覇市歴史博物館
たまのおかんむり (つけかんざし)
●概要 :玉冠は皮弁冠やタマンチャーブイとも呼ばれ、冊封(国王の即位儀礼)や正月儀式など国の重要な儀式の際に、中国皇帝から贈られた衣装とともに国王の正装として用いられ
た。表面には、黒縮緬げ貼られて、さらにその上に金糸の帯が12筋縫われ、各金筋には24個ずつ金や銀、サンゴ、水晶など7種類の玉が合計288個、鋲でとめられている。簪には、王の
象徴である龍の文様が表されている。
資料群 国宝・琉球国王尚家関係資料
資料コード 05000001
サイズ 高さ 18.4cm、長形 21.8cm、短径 14.6cm、簪 長 31.8cm。
制作年代 冠 : 17c. 簪 : 17~18C.
点 数 1