織田 有楽斉(1547~1621)は織田 信長の実弟で茶の湯の創成期に尾張の国が生んだ大茶匠であり、生涯波瀾に富んでいた。 晩年、武家を棄て京都の建仁寺の正伝院を隠棲の土地とした。 如庵はその境内に1618年ころ建てた茶屋であり、現存する国宝茶 席三名席の一つとして茶道史上貴重な遺構である。旧正伝院書院は如庵に連なる隠居所であり重要文化財に指定されている。 明治以降、これらの遺構は各地を転々としたが、ようやく有楽の生れ故郷に帰りつき、安住の地を犬山に得て、「有楽苑」と名 づけ後世に残すことになった。
如 庵
国宝茶室 柿葺の端正な外観を示すこの茶室の内部は二畳半台目で床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから 「筋違いの囲」といわれている。古暦を腰貼りにした暦貼り、竹を詰め打ちにした有楽窓、躙口の位置等随所に独創的な工夫がこ らされている。
旧正伝院書院(重文)
1618年 如庵に隣接して建てられた有楽斉の隠居所で入母屋造の温和な外観を示し、南側の主室は茶座敷にふさわしい構えと なっている。内部に残る長谷川 等伯・狩野山雪などの襖絵は美術史上貴重な史料である。
元 庵
有楽斉が大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元。三畳台目の茶室内部は奥に深い間取りで、亭主床と呼ばれる 床構えになっている。
弘 庵
苑内で四季折々開催される茶会のために新築された茶席。蹲踞は水琴窟とよばれる仕掛で、反響する水音が琴のように 風雅な音色を奏でる。