不動明王は大日如来の化身で、「お不動さん」で親しまれ、アジアの中でも日本は、特に根強い信仰を得る。 梵名の「アチャラ」は「動かない」、「ナータ」は「守護神」を意味している。空海が唐より密教伝えた時 に、日本に図像が持ち込まれた。
昔、この娑婆世界から東方千仏の国を経て、阿比羅提という国があり、そこに大日如来が現れた時、彼を守る。 この如来は、梵名「アクショービヤ」で「揺るぎない」の意味で、阿しゅく如来の悟りの境地がダイヤモンドの ように堅固であること、釈尊が、修業中に悪魔の誘惑を受けたが、これを攻撃した伝説に由来、煩悩に屈しない 強固な決意を示す。
小乗仏教では釈迦牟尼仏は現世における唯一の仏。
この世間における衆生の疾病を治癒して寿命を延べ災禍を消去し、衣食などを満足せしめ、仏行を行じては無上 菩提の妙果を証らしめんと誓い、仏様と成ったと説かれている。
千本の手のそれぞれの掌に一眼を持つ。千本の手は、どのような衆生をも漏らさず救済しようとする。観音の慈悲 の心と力の広大さを表現している。お経の中に大悲心陀羅尼は中国や日本の寺院で読誦されている。六道のうち 餓鬼道を摂化するという。また、地獄の苦悩を済度するともいい、一切衆生を済度するに、諸源成就・産生平穏を 司るという。
とばつ毘沙門天と呼ばれる特殊な仏像がある。金鎖甲(きんさこう)という鎖で編んで作った鎧を着し、腕には海老 籠手(えびごて)という防具を着け筒状の宝冠を被る。持つものは、左手に宝塔、右手に宝棒または戟で、異国風像。 また、地天女及び二鬼(尼藍婆と毘藍婆)の上に立つ姿を表している。この東寺のとばつ毘沙門天像は、過って羅城門 の楼上に安置されていたという。「とばつ」とは西域とばつ国、現在のトゥルファンとする説が一般的で、ここに 毘沙門天がこの姿で現れたという伝説に基づく。また「刀抜」「屠半」など宛字もある。像の容貌は、東寺像を忠実に 模刻したものが奈良国立博物館や京都清凉寺に有る。それと、地天女の両手の上に立つ以外は普通どこでも見る。 毘沙門天像と変らない。
仏教の守護神で天部の一柱。古代インドの神が仏教に取入れ、十二天に含まれる。梵天・帝釈天と一対として祀られてい ることが多い。「梵釈」と称す。釈迦牟尼が悟りを開き、それを広めることをたまらったが、その悟りを広めるよう勧め たのが、梵天・帝釈天とされる。ただし、伝説。天部(六道、十界の1つである天上界)は、さらに細分されるが色界十八 天のうち、初禅三天の最高位(第三天)の大梵天を指して、「梵天」と言う場合もある。神としての梵天はこの大梵天に 住み、その下の第二天である梵輔天には、輔相(大臣)が住み、さらにその下の第三天である梵衆天には、梵天の領域と する天衆が、この天に住むとされている。
四天王の一体、東方を護る守護神として造像される場合が多い。日本では一般に革製の甲冑を身に着けた唐時代の武将の 姿。手にするものは、刀の場合が多い。足下に邪鬼をを踏みつけ、刀を持つ右手を振り上げて、仏敵を威嚇し、左手を 腰に当てる姿に表現されている。
インド神話のガルダを前身とする8部衆、後には28部衆となった。インド神の神鳥ガルダが仏教に取込まれた。(仏法守護神) は、口から金の火を吹き、赤い翼を広げると1344万kmにも達する。一般的には、鳥頭人身の二臂と四臂があり、龍や蛇を踏 みつけている姿の像もある。鳥頭人身有翼で横笛を吹く姿もあったりする。要するに、毒蛇から人を護り、龍蛇を喰うよう に衆生の煩悩(三毒)を喰らう霊鳥として信仰している。密教では、降魔、病除、延命、防蛇毒に効果があるとする。また、 祈雨、止風雨の御利益があるとされる。
日本密教の中心となる仏→大日如来の説く真理・悟りの境地を視覚的表現したのが曼荼羅である。大日如来を中心に配置、 更に、数々の「仏」を一定の秩序に従って配置してある。「胎蔵曼荼羅」「金剛界曼荼羅」を合わせて「両界曼荼羅」と 称する。一般に知られる個々の「仏」の像を絵画で表した『大曼荼羅』ほかに、1つの仏を1文字のサンスクリット(梵字) を表記するための文字の一つでもある。日本密教の伝承によると、大日如来が18回の様々な機会に説いたという説法が、 曼荼羅のなかにある。次に、空海の師は唐僧で、この師僧は密教の奥義は言葉で伝えることが上手に伝達できぬとして、 宮廷絵師に命じて、両界曼荼羅等々を描かせ、それを空海に与えた。唐での短期留学を終了して、806年に帰国し、その時、 曼荼羅を持ち帰っている。持ち帰った彩色両界曼荼羅の原本および第一転写本(821年に製作)は、東寺に所蔵されていたが 失われており、神護寺所蔵の国宝・両界曼荼羅(通称 高雄曼荼羅)は彩色無し、紫綾金銀泥であるが、根本曼荼羅 或いは、第一転写本を忠実に再現したと考えられている。