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嘉穂劇場     創業 1931年(s-6)。飯塚市にある現役の芝居小屋です。


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嘉穂劇場について
この劇場は、江戸情緒歌舞伎様式の現役の芝居小屋なのです。1931年(s-6)、当時は嘉穂郡飯塚町であって、伊藤隆により設置。前身は 1921年(t-10)に大阪・中座を模して建てられた木造3階建ての「株式会社 中座」であり、1928年(s-3)に焼失し、翌年、再建されるも1930年( s-5)の台風で倒壊した。観客は当時筑豊地域の中心産業は石炭炭鉱の労働者とその家族が中心で、大衆演劇や歌手の公演等でに賑った。それが だんだんと石炭産業も衰退となってきて、1962年(s-37)には266日であった公演数は1970年代には10~15日に落ち込んだ。これを打開したのが 伊藤英子(隆の娘)の奮闘もあった。1979年(s-54)から毎年九州演劇協会による「全国座長大会」が開催されるようになった。この劇場のレトロな 雰囲気が人気となり、近年では、年間30~40日間の公演となっている。2000年(h-12)7月30日には椎名林檎の一夜限りのライブイベント「座禅 エクスタシー」の会場に使用。2003年(h-15)7月19日の大雨により、この場所周辺の市内中心部一帯が浸水、客席や舞台・花道等が浮き上り、 1階内部が使用不能となる被害を受け、玄海竜二より連絡を受けた津川雅彦らが芸能人仲間に呼びかけ、中村玉緒、明石家さんま、18代中村 勘三郎ら大物が駆け付けた復旧チャリティイベントが行われ、それに先立ち飯塚市中心商店街で「お練り」も行われた。これに、田村正和やキム タク等の私物がチャリティオークションにかけられ、東京でも滅多にない豪華なイベントとして話題となった。水害後約1年かけて復旧工事が行われ、 2004年9月に復興し、2003/09の公演予定だった九州の人気劇団ギンギラ太陽'Sの公演も行われた。伊藤家家族経営により営業継続してきた唯一の 民営芝居小屋であったが、復旧に際して公的資金の支援を受ける必要があったことから、特定非営利活動法人(NPO)化、この時点で英子は既に 高齢故に、養子の伊藤英昭夫妻に運営全般を移し、自らは、来場する役者らの話し相手を務めた。2010年(h-22)8月22日、老衰で91年間の生涯 を閉じた。

2階客席より舞台を眺める   客席収容数:状況によって変化可能で300~400人


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2階展示室   昭和初期の小道具類、公演資料、流行歌手のブロマイドなど


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様式:   江戸歌舞伎小屋様式 桝席・桟敷席そして花道   1階客員収容数 450~800人でここも、状況によって変化可能になっている。


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舞台に向かって右第2花道に、雛人形・歌舞伎人形がたくさん展示。


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嘉穂劇場の舞台は間口10間(18.2m)奥行き9間(16.4m)プロセニアム 高さ2間半(4.5m)簀子までの高さ5間(9.1m)        舞台設備 : 廻り舞台(直径 15.8m、手動回転式) : セリ(廻り舞台前方と花道)    2004/01/09設立。

間口10間 柱がない空間。この劇場は、特徴的なトラス(短い基本ユニットを次々に結合してゆくことで形成される構造物。任意の形態形式が可能。) 形式の小屋組で出来ている。間口10間(約18m)の大きな梁を構成することで、1200人を収容する客席は、この飯塚がかって炭鉱で栄えていたから建設 できたといえる贅沢な空間です。筑豊地方には、炭鉱の栄えた時代に建てられた立派な町家建築や、炭鉱主の住宅が今も多く残されていますが、筑豊の街 に愛され、育った嘉穂劇場もそのひとつであり、誕生当時は超モダンな建造物だったのです。

楽屋裏


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綱元   舞台上部に設置されている緞帳や照明用のサスバトンなどを人力によって昇降させるのに設けられた作業区域、「綱場」ともいう。電動等の動力機構 では、操作盤といって区別する。元々、麻製の非常に丈夫な綱を設置。この綱に綱元上部の滑車を介して輪になっており、両端部は「鎮枠(しずわく)」という重りを積む ための枠を固定。鎮枠は同時にバトンから導かれたワイヤーに集約されており、ループ状の手前側を引くことによりバトンが下降、奥側を引くことで上昇する仕組み。


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嘉穂劇場の廻り舞台は、奈落に待機しているスタッフ10数人が人力で廻さなくてはなりません。この仕掛けを懐かしむ人もいれば、とても新しく感じる人もいます。 どちらにせよ重要なことは、舞台が今日も綺麗に廻るということ。そこには懐かしいも新しいもないんです。「奈落」は舞台および花道の地下部分を総称した名前。


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