藤田展
藤田展
レオナール・フジタ と パリ
彼、並みいる天才たちと肩をならべて、芸術の都パリで活躍した藤田嗣治(レオナール=ツグハル・フジタ/1886-1968)。北斎とともに海外で最も有名な日本人画家とい
えるでしょう。今年2013年は、藤田が1913年に渡仏して100周年にあたります。本展覧会はこの節目の年を記念するもので、藤田の黄金期の名作群を中心に、モディリアーニやキスリング、
ローランサンなど藤田が交友した芸術家の作品も合わせて展示し、モダン・アートの華やかりし時代を紹介します。フランスやわが国の主要美術館の所蔵品をはじめとする油彩・水彩・
デッサン・彫刻など約120点の作品群で構成される本展は、藤田がパリでの多彩な交流を通じて、独自の画風をどのように確立していったかを探ろうとする試みです。
東京に生まれた藤田は幼少期の10年を熊本で暮らし、熊本師範学校の付属小学校(現熊本大学教育学部付属小学校)に通いました、終生、藤田は育った熊本の地に深い
愛着を抱いていたといわれます。1913年の夏、藤田は愛する妻を日本に残し、単身、船でフランスをめざし、8月6日にパリに到着しました。当時のパリでは、ピカソ、モディリアーニ、
パスキン、ザッキンなど外国からやってきた数多くの芸術家たちが活躍していました。異国の地で日本人であることを強く意識し、西洋と東洋の美意識の融合を模索するなか、1920年
初頭に”グラン・フォン・ブラン”(偉大なる乳白色の下地)と称せられる独自の作風を編み出し、エコール・ド・パリの寵児として脚光を浴びたのでした。
21世紀初頭においても、フランスにおいて、最も有名な日本人画家。猫と女の得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」と呼ばれた
裸婦像など、西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリ(パリ派)の代表的画家で名を馳せている。
本展覧会では、渡仏前の作品をプロローグとして、模索の時代から1917年のデビュー、そして黄金期と呼ばれる1920年代を頂点として、パリから南米へ旅立つ
1931年まで、藤田が辿った創造の軌跡を辿ります。また藤田が最初の妻とみに宛ててフランスから書き送った書簡類は、本邦初公開となるものです。日本からひとり旅立った青年が
華やかかりしパリで時代の寵児となり、画家として頂点を極めていく姿は、現代に生きる私たち大いなる示唆と明日への展望を与えてくれることでしょう。