刑部邸
刑部邸
旧細川刑部邸
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熊本城三の丸跡にある武家屋敷。
細川刑部家(邸)(子飼細川とも)は細川内膳家(砂取細川とも)と並ぶ細川藩の一門家臣家(江戸時代は長岡姓)でありました。
細川家三代(肥後藩初代)・忠利公の弟、刑部少輔興孝が1646年(正保-3)に二万五千石を与えられて興したものです。興孝は、1678年(延宝-6)に子飼(熊本市東子飼町)にお茶屋をつくり、
後に下屋敷としました。その後元禄年間や宝永年間にも造作がおこなわれ細川一門として格式を整えました。刑部家は代々「刑部」(ぎょうぶ)か「図書」(ずしょ)を名乗り家禄一万石で活躍
しました。
1871年(m-4)、鎮西鎮台が熊本城に設置することになって、城内の武家屋敷は場外に出ることの命で、それで、子飼に移り、下屋敷を刑部家本邸宅とした。
旧細川刑部家は建坪約990㎡(300坪)、蔵付き長屋門を入る、すると、唐破風(からはふ)の玄関、御客間⇒入側造り(いりかわつくり)の表御書院(おもておんしょいん)、二階建の「春松閣」
と続き、別棟⇒書斎付き茶屋「観川亭」(かんせんてい)・御宝蔵(ごぼうぞう)などを備え、この建物は、全国有数の上級武家屋敷の格式を持っている。
1985年(s-60)、熊本県重要文化財に指定。
2015年8月25日、台風による強風で、屋敷を囲む塀が約70m余り、倒れた。