初詣⑤
初詣⑤
護国神社・加藤神社・藤崎八幡宮の三社詣り
さー! わくわく座の金蔵くん・ひごまるくん等と一緒に、初詣出発~~~
先ず、 第一社は、護国神社です。
熊本県護国神社 : 熊本市中央区宮内3-1 <祭神> 明治維新~大東亜戦争(第二次世界大戦)迄に、国難に殉死した熊本県出身または縁故のある護国の英霊約
65,000柱を祀る。 <歴史> 1869年(m-2)、熊本藩主 細川韶邦と細川護久が、明治維新に殉死した藩士 150 柱を祀るため花岡山に招魂社を建立したのに始まる。1875年(m-7)、に
官祭の招魂社となり、1939年(s-14)、招魂社の制度改正により、内務大臣指定の熊本県護国神社となった。 1944年(s-19)、熊本市黒髪町の立田山麓に社地を得る。新社殿の造営を開始した
が終戦により中止。 1953年(s-28)、現在地で、過って招魂祭が行われていた藤崎台招魂場跡にて社殿の造営を再開した。 1957年(s-32)、竣工遷座した。一方、花園山の過っての社地は、飛
地境内に「花園山招魂社」となった。 熊本県関係の公務殉職者(自衛官・警察官・消防士)の「御霊」を、1964年(s-39)、軍需工場で被爆した学徒戦没者の霊を、翌1965年(s-40)、に合祀し
た。
次の二社目は、 清正公の 加藤神社です。
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加藤神社 : 熊本市中央区本丸2-1 (注 正月三が日の参拝者数は年々増加しており、藤崎八幡宮に匹敵するほどになっている)。 <祭神> 加藤清正公を主祭神と
し、祭神に殉じた大木兼能公、韓人(朝鮮人) 金官公を配祀する。 <歴史> 元は、1611年(慶長-16)、の清正の没後に清正の祀った浄地廟であった。1614年(慶長-19)、火災で焼失
した本妙寺が浄地廟に移された。神仏分離により、1868年(m-元)、浄地廟の儀式を神式で行うこととなり、1871年(m-4)、浄地廟・本妙寺より神社を分け、熊本城内に社殿を造営して、
錦山神社(にしきやまじんじゃ)と。その場所は、大天守、小天守、宇土櫓に囲まれた平左衛門丸である。1671年、大木兼能と金官を合祀した。1874年(m-7)、城内に熊本鎮台が置かれる
のに伴い、城外の新堀町(現・京町1丁目)に遷座し、1875年(m-8)、県社列格、1877年(m-10)2月、西南戦争により社殿を焼失し(神体は健軍神社に避難)、1884年(m-17)、再建した。1909年
(m-42)、には、日本統治下の朝鮮・京城府(現・大韓民国ソウル特別市)に当社の分霊を祀る加藤神社が創建された(京城府の加藤神社は戦後は、廃社。跡地は聖山教会になっている)。加藤
清正を祭る神社は一時90社を数えたが、一部例外(鹿児島県など)を除き、全国的に分布し、その半分は、熊本県内にある。1952年(s-27)、宗教法人 加藤神社となった。現在地に
遷座した。
さて、最後の三社は、 藤崎八幡宮です。
藤崎八幡宮 : 熊本市中央区井川渕町 旧社格は国幣小社、熊本市域の総鎮守の信仰を集めている処。応神天皇を主祭神として、神功皇后・住吉三神を
相殿に祀る。 <歴史> 935年(承平-5)、勅願により藤原純友の乱の追討と九州鎮台の為、国府所在地だった宮崎庄の茶臼山に石清水八幡宮から勧請を受けて創建された。九州の
石清水五所別室の一社。鎮座のとき、勅使が馬の鞭としていた石清水の藤の枝を地面に刺したところ、芽が吹き枝葉が生えたので、「藤崎」の神社名とした伝承。国府八幡宮として、国司や
朝廷の崇敬を受けた。鎌倉時代以降は歴代領主の崇敬を受け、江戸時代には、熊本城の鎮守社とされた。1877年(m-10)、西南戦争で社殿を焼失し、現在地に移転、復興した。1915年(t-4)、
国幣小社に列格となる。
以上 : 資料はウィキぺディアから
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