初詣③

初詣③

鎮守
その土地に鎮まりその土地やその土地の者を守る神。平安時代以降になると、荘園制が形成され貴族や武士、寺院などの私的領地が確立 され、氏族社会が崩壊し氏神信仰も衰退するが、荘園領主達は荘園を鎮護する目的でその土地の守護神を祀るようになる。これが鎮守であり、 室町時代の頃に荘園制が崩壊すると信仰は衰退し、氏神に合祀され今日に至っている。
産土神
その者が生まれた土地の神であり、その者を一生守護すると考えられている。生涯を通じて同じ土地に住むことが多かった時代は、殆んどの 場合産土神と鎮守は同じ神である。現在は転居する者がが多いため産土神と鎮守神が異なる場合が多い。この氏神信仰は七五三などで見ることが、 出来るが、子供のお宮参りりは本来氏神にお参りして、その土地の一員に認めてもらうための儀式の一つだった。
健軍神社
所在地:熊本市東区健軍本町13番の1 阿蘇神社、甲佐神社、郡浦神社(宇城市)、と共に阿蘇四社の一つ。此処の祭神は、天御中主神・仲津彦神 ・仲津姫神は境内にある国造社の神、つまり、火(肥)国造の祖先である健緒組(たけおくみ。)という伝説有。健緒組(『肥前風土記』『肥後風土記』) の逸文によれば、景行天皇の時代に肥(火)君(ひのきみ)の姓を賜ったといい、『国造本紀』によれば、崇神天皇朝に火造国に定められたという。 社伝記によれば、558年(欽明天皇19年)に阿蘇神社の大宮司が健軍神社を勧請sて創祀し、異賊征伐の為に社号を「健軍」と称したといい、後に四社の一 として阿蘇神社の別宮とされた。 ・ 初め「健軍宮(たけみやぐう)」や健軍村竹宮(たけみや)と呼び、または、健軍荘(たけみやしょう)(現在の日赤 病院周辺や小峰や新外、江津湖周辺の広い地域)の産土神社であった。  ・1873年(m、6年)に郷社に列して、昭和以降「たけみや」が「けんぐん」と音読 されるようになり、地域名も詫麻郡健軍村から熊本市健軍町となった。地域の基礎ともいえる神社である。
境内には
●雨宮神社ーー雨宮大神 ●美和神社ーー大物主大神、三穂津姫命、事代主命、猿田彦大神、 ●国造神社ーー速瓶玉命 ●日吉神社ーー大山咋命、若山咋命 ●大社神社ーー道君首名 ●矢城神社ーー矢城山の山神、稲荷大明神、青龍龍神

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さざれ石
元来、小さな石の意、長い年月をかけて小石の欠片の隙間に炭酸カルシウムや水酸化鉄が埋めることによって、1つの大きな岩塊に変化した、「石灰質角礫岩」と 呼ぶ、石灰岩が雨水で溶解して生じた、粘着力の強い乳状液が少しずつ小石を凝結していき、石灰質の作用によってコンクリート状態に固まってできる。

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